ベンチマーク1位が落選した — 韓国が国産AIに作ったのは補助金ではなく市場
概要
2026年8月18日、韓国科学技術情報通信部が国家基盤モデルコンペの第2次選抜結果を公表した。 LG AI Research、SK Telecom、Upstage の3チームが通過し、Motif Technologies が落選した。
落選の理由に目を引く点がある。 Motif はベンチマークスコアで最も高い評価を得ていたチームだった。 それでも4チーム中最下位で脱落した。
決め手は実運用への適合性である。 評価は3つの区分で行われ、そのうち利用者評価(25点満点)の平均は17.6点だった。 1位と4位の差は5点で、他の区分より開きが大きかった。
10日後の8月28日、政府は別の枠組みの結果も出した。 全国民向け無料AIサービス「AI for All」の提供事業者として、SK Telecom、KT、Kakao の3つのコンソーシアムを選定した。
この2つの発表を並べると、韓国の設計が見える。 国はモデルの開発に金を出しているだけではない。 モデルを使う市場そのものを、法で作っている。
詳細
国産モデル80%という数量義務
「AI for All」は、5,200万人の韓国国民が無料で無制限に使えるAIサービスである。 2026年9月にベータ、年末に本サービスを開始する。
事業者に課される条件が特異である。
| 区分 | 義務 |
|---|---|
| 自社の国産基盤モデル | サービス利用の50%以上 |
| 他の韓国企業の国産モデル | さらに30%以上 |
| 国産モデル合計 | 80%以上 |
| 海外モデル | 限定機能のみ。政府の費用支援対象外 |
海外モデルを使うこと自体は禁止されていない。 ただしその分は政府の費用支援から外れ、事業者の自己負担になる。 禁止ではなく、価格差で誘導する形式を取っている。
政府の直接支援も具体的である。
| 支援 | 内容 |
|---|---|
| GPU | NVIDIA B200 を計512基提供。首位コンソーシアムに256基、他2社に各128基 |
| 運営費 | 2027年から2030年12月31日まで政府が負担 |
| 2027年以降の事業者側 | 自己資金の投入と収益源の開発を求められる |
ここに機構がある。 基盤モデルを開発しても、使われなければ改善のためのデータが集まらない。 韓国は5,200万人分の利用を国産モデルに強制的に流し込むことで、開発側に運用データを供給する経路を作った。
すでに2,000万人以上の韓国人が無料の生成AIを使っているという政府推計がある。 その利用の大部分が海外モデルへ向かっていた状態を、国産へ振り替える操作にあたる。
ベンチマークで選ばなかった理由
国産モデル80%義務を前提に置くと、コンペの評価基準の変更が理解できる。
義務によって選ばれたモデルは、行政窓口の代行、製造、防衛、教育の現場に入る。 そこで問われるのは、指標上の推論性能ではなく、業務の文脈で使えるかどうかである。
科学技術情報通信部の Ryu Je-myung 次官は、支援方式そのものの見直しに言及した。
completely overhaul its support approach, moving away from a method that selects only a few winners — Ryu Je-myung, 韓国科学技術情報通信部 次官
第3次評価で最終2チームを選ぶ計画は残っている。 一方で、少数の勝者だけを選ぶ方式から離れるという方向が同時に示された。
コンペの舞台も、当初より広がっている。 公共行政、製造、防衛、教育が評価の場に加わった。 ベンチマークの点数では測れない領域である。
18.4GW を知能の工場と呼ぶ
3つ目の柱がデータセンターである。
| 段階 | 期間 | 投資 | 容量 |
|---|---|---|---|
| 第1段階 | 2026〜2029年 | 550兆ウォン | 8.4GW |
| 第2段階 | 2030〜2035年 | 残り | 追加10GW(累計18.4GW) |
| 合計 | 10年 | 約1,000兆ウォン | 18.4GW |
米ドル換算は報道により6,500億ドルから9,190億ドルまで幅がある。 為替と算入範囲の違いによる。
第1段階の容量配分は財閥に割り振られた。
| 事業者 | 第1段階 | 全体 |
|---|---|---|
| SK Group | 5GW | 15GW |
| GS Group | 2.4GW | 非公表 |
| Naver | 1GW | 非公表 |
立地はソウル一極から離れ、忠清、蔚山、東海、世宗が優先される。 政府は電気料金の割引と、土地および水利権の手続き簡素化を提供する。
政権の位置づけが明確である。
We must secure the core elements of AI faster than any other country. Semiconductors, physical AI, and AI data centers are the triple axis for our great leap forward. — Lee Jae-myung, 韓国大統領
In the AI era, data centers are factories that produce intelligence. — Bae Kyung-hoon, 韓国副首相
データセンターを電力消費設備ではなく生産設備として扱う。 この分類の違いが、後述する日本との差を生む。
義務が解けない問題
国産モデル義務には、韓国側からの批判もある。
Common Crawl に占める韓国語データは 0.823% である。 学習データが薄い状態で使用比率だけを義務化すれば、殻の国籍が変わるだけの規則になりうるという指摘が出ている。
収支の見通しも定まっていない。 政府の運営費負担は2030年末で切れ、2027年からは事業者が自己資金と収益源を用意する必要がある。 無制限の無料サービスでトークン費用をどう賄うかは、業界側から疑問として提示されている。
義務は需要を作るが、データの薄さと採算の穴は義務では埋まらない。
日本への示唆
日本と韓国は、同じ国産モデルという目標に対して、正反対の側から手を入れている。
供給に補助を出す国と、需要を法で作る国
日本の GENIAC は、2024年2月に始まった生成AI開発力強化プロジェクトである。 第1期から第3期までの公募総額は339億円で、2026年1月時点の計算資源提供支援は累計30テーマにのぼる。 2026年6月には第4期として16テーマが採択された。
支援の内容は計算資源の提供と、開発コミュニティの運営である。 つまり作る側への補助にあたる。
一方、韓国が作ったのは使う側の義務である。
| 観点 | 日本(GENIAC) | 韓国 |
|---|---|---|
| 支援対象 | モデル開発者 | モデル開発者と提供事業者の両方 |
| 主な手段 | 計算資源の提供 | GPU提供、運営費負担、使用比率の義務 |
| 需要の設計 | なし | 全国民無料サービスで国産80%を義務化 |
| 海外モデル | 制約なし | 限定機能のみ。費用支援の対象外 |
| 運用データの供給 | 開発者が自力で確保 | 5,200万人分が国産モデルへ流れる |
339億円と1,000兆ウォンを直接比べることはできない。 韓国の投資額は大半が財閥の民間設備投資で、政府予算ではない。
比較すべきは金額ではなく設計である。 日本は開発の初期費用を軽くした。 韓国は開発したモデルが使われる場を法で確保した。
基盤モデルの性能が運用データの量で決まる以上、後者の方が持続する。 GENIAC で開発されたモデルには、開発後に使われる保証がない。
データセンターを規制する国と、優遇する国
電力の扱いも反転している。
日本ではデータセンターの電力需要が2034年度に44TWh へ達する見通しで、産業部門の電力需要に対して約14%を占める。 これに対して2026年4月から、事業者への省エネ規制と電力使用量の可視化が義務化された。 2026年7月1日以降に運用を開始するデータセンターは、年平均 PUE 1.2 以下を求められる。 一定規模以上には再生可能エネルギーの50%調達が課される。
| 観点 | 日本 | 韓国 |
|---|---|---|
| データセンターの位置づけ | 省エネ規制の対象 | 知能を生産する工場 |
| 電力 | PUE 1.2 以下を義務化 | 電気料金を割引 |
| 用地と水 | 通常の手続き | 手続きを簡素化 |
| 再エネ | 大規模施設に50%調達を課す | 供給側の課題として国が引き取る |
日本の規制には理由がある。 電力の余裕が薄く、送電インフラの増強が追いついていない。 効率を義務化しなければ、需要増が系統を圧迫する。
ただし帰結は明確である。 同じ計算資源を建てるとき、韓国では料金が下がり手続きが速くなり、日本では効率基準を満たす追加投資が必要になる。 国産モデルを学習させる場所の単価が、政策によって逆方向に動いている。
日本のエンジニアにとって何が変わるか
国産モデル義務は、日本の受託開発と製品開発の両方に影響する。
韓国の公共および準公共の案件では、国産モデル80%が前提条件になる。 日本のベンダーが韓国向けにAI機能を提供する場合、モデル選択の自由が事前に制約される。
逆の方向も見ておく必要がある。 日本が同種の義務を導入する可能性である。 現時点で日本の政策は供給側に寄っており、調達要件としての国産比率は設定されていない。 韓国の結果が出れば、経済安全保障の文脈で議題に上がる。
その前提で設計しておくべき点が1つある。 モデルを差し替えられる構造にしておくことである。 特定モデルのAPIに直接依存した実装は、調達要件が変わった時点で書き直しになる。 抽象化の層を1枚挟むコストは、この可能性への保険として正当化できる。
まとめ
- 2026年8月18日、韓国の国家基盤モデルコンペでベンチマーク最高評価だった Motif Technologies が落選した。決め手は実運用への適合性で、利用者評価の1位と4位の差が他区分より大きかった
- 8月28日、全国民向け無料AI「AI for All」の提供事業者に SK Telecom、KT、Kakao が選ばれた。5,200万人が無料かつ無制限に使う
- 事業者には国産モデル80%の使用義務が課される。自社モデル50%以上に加え、他の韓国企業のモデル30%以上。海外モデルは限定機能のみで政府の費用支援対象外
- 政府は B200 を512基提供し、2030年末まで運営費を負担する。2027年からは事業者が自己資金と収益源を用意する
- データセンターは10年で約1,000兆ウォン、18.4GW。電気料金の割引と用地手続きの簡素化が付く。政権はこれを知能の工場と位置づけている
- 日本の GENIAC は第3期まで公募総額339億円で、支援対象は計算資源の提供に留まる。需要側の義務は設定されていない
- 電力政策も反転している。日本は2026年7月以降のデータセンターに PUE 1.2 以下を義務化し、韓国は電気料金を割り引く
- 批判もある。Common Crawl に占める韓国語データは 0.823% で、使用比率だけを義務化しても殻の国籍が変わるだけになりうるという指摘が韓国内から出ている
韓国が作ったのは優れたモデルではなく、モデルが使われ続ける市場である。 基盤モデルの性能が運用データで決まる以上、需要の設計を持たない支援は開発の時点で止まる。
参考リンク
- Seoul Economic Daily: Upstage, SKT and LG Advance in Korea's Homegrown AI Contest
- implicator.ai: South Korea Picks Three Groups for Free Nationwide AI Access
- Pebblous: Korea's Free AI for All, 80% Domestic-Model Rule
- Light Reading: South Korea plans massive 18.4GW AI data center buildout by 2035
- Data Center Dynamics: South Korea announces $919bn investment into three mega projects
- METI: GENIAC
- METI: GENIAC における計算資源の提供支援(第4期)16件を採択
- 資源エネルギー庁: データセンター業に係る省エネ措置